心理相談・カウンセリングを受診するクライエントの主な目的や相談内容の統計と実際の具体的ケース例を公表
心理カウンセリングは日常的なストレスの発散を目的とする軽い相談、職場のハラスメントやキャリアの悩み、経済的不安など社会的背景の問題から根深いトラウマや人格形成、及び精神障害や疾患にかかわる問題まで、幅広い内容が取り扱われます。カウンセリングは悩み相談にとどまらず、クライエントの人生全般に深く関わる領域であり、幸福感や生活の質を向上させる役割も担っています。実際には、これらの要因が複雑に絡み合っている場合が多く、単一のカテゴリーに収まらないケースが多くあります。そのため、カウンセリングの場では、個別ニーズに基づいた柔軟な対応が求められています。
カウンセリングを受診する背景や動機として、社会生活の中で精神障害や精神疾患が顕著に現われ、職業や対人関係に影響していることを気づいた場合、または自分で問題を解決しようと試みた後に結果が思わしくない場合にカウンセリングを選ぶケースが多くなります。特に、夫婦間の問題や親子間の葛藤、キャリアの悩みなどストレスや人間関係の問題が慢性化しているケースは専門家への相談を決意するひとつとなります。
深刻な危機として、急性ストレス、トラウマ体験、離婚や大切な人の喪失、職場での重大な問題(ハラスメントなど)が直接のきっかけになることもあります。また、長期間にわたる低い自己肯定感や対人関係のパターン化した生きづらさの問題では、心理評価や認知行動療法(CBT)、スキーマ療法などのセラピーを望むケースもあります。
心理カウンセリングに訪れるクライエントの悩みや受診内容の統計は、実施する地域、施設、そして利用者層によって異なりますが、いくつかの参考となるデータを紹介します。
日本国内におけるデータ
全国精神保健福祉センター等の統計
精神保健福祉センターや心療内科クリニックが提供する年次報告書で、精神疾患別の相談件数やカウンセリングの主な目的が明らかにされています。以下は、チャットGPT検索によるデータです。
- 気分障害(不安障害やうつ病)(40〜50%)
- 対人関係の問題(20〜30%)
- 家族や育児に関する悩み(10〜20%)
- トラウマ関連(10〜15%)
- 自己理解や自己成長に関する相談(10%程度)


民間のカウンセリング機関の傾向
民間の心理相談所では、必ずしも診断名に基づく相談だけではなく、次のような幅広い目的となります。
- 愚痴やストレス発散(20〜30%)
- 職場や家庭でのストレス管理(20〜30%)
- 孤独感や寂しさの解消(15〜25%)
- 精神症状の問題(15〜25%)
- その他(5〜10%)
メンタルケア研究室-3時間無料カウンセリングのデータ
主な悩みや症状
- 対人関係の問題(25〜30%)
- 職場、パートナー、友人、家族関係の悩み、孤立感や対人恐怖症。
- アイデンティティ評価(20〜25%)
- アイデンティティの模索、自己価値感の低下、将来への不安など。
- トラウマ(15〜20%)
- PTSDやC-PTSD、愛着障害など、過去の体験による心理的影響。
- 不安障害(10前後%)
- パニック発作、全般性不安障害、社交不安障害など。
- うつ症状(10前後%)
- 気分の落ち込み、無力感、興味喪失、慢性的な疲労感など。
- その他(15〜20%)
- 依存症、心理的発達、感情障害、発達障害、パーソナリティ症、身体表現性障害、妄想性、パラフィリア、生理的及び行動障害など。

メンタルケア研究室-3時間無料カウンセリングの目的やニーズ
- リラクゼーションやストレス管理(30〜35%)
- マインドフルネスやリラクゼーション技法の習得を求める人。
- 精神付添人によるストレス発散を求める人。
- 誰かに話を聞いてもらいたい(25〜30%)
- 愚痴、不満、孤独感の軽減を目的とする人。
- 自己成長や自己理解(15〜20%)
- セルフエスティームやアイデンティティ形成への支援を求める人。
- 緊急性の高い心理支援(〜5%)
- 被害妄想的反応や感情調節障害、自殺念慮など危機介入を必要とする人。
- その他(5〜10%)
- 生きづらさやスキーマ、障害・疾患に対する評価

このページを含め、心理的な知識の情報発信と疑問をテーマに作成しています。メンタルルームでは、「生きづらさ」のカウンセリングや話し相手、愚痴聴きなどから精神疾患までメンタルの悩みや心理のご相談を対面にて3時間無料で行っています。
実際の相談例(実際の相談を一般的な内容に訂正)
適応障害の可能性
高校まで成績はトップクラスで希望の大学にも入学できた。友達も多い方で何一つ不自由なく過ごしてきた。
大学卒業後は一流企業に就職することができ、人事部に配属された。人事部で3年後に係長に昇進、その後は総務課に移動した。同期の中で役職が係長に昇格したのは一番早かった。昇格を契機に恋人との結婚も約束していた。総務課では2年間在籍したのちに4月に経理課に配属された。
経理課は人事部や総務課の業務内容と著しく異なり、数字を扱うことが多かった。実は、学生時代から数字に関する分野が苦手で計算ソフトなどには触れたこともなく興味もなかった。また、業務では数字を見ながらの入力は戸惑うことが多く苦労している。同僚も先輩も親切に教えてくれるのだが、何分頭に入ってこない。そのためミスも多く、業務を理解するのに戸惑いがある。
既に経理課に移動して2カ月経過しているが、一人でできることは少ない。そのため、いちいち他者に確認しながら業務を進めていることが多く、遅れが出るようになってきている。それでも係長という肩書で期待されてきたため、仕事はできる振りをしているせいか精神的に疲労が感じられるようになってきている。
7月は梅雨時期の影響か、だるくて朝起きるのが辛くなってきている。しかし、今まで風邪ひとつひいたことがなく、会社も休んだことがないくらい体力には自信がある。気合で何とかなると思い無理して出勤するが、経理課での業務は普段からの遅れに単純ミスが頻繁に出るようになってきている。なんとなく周りからの視線も気になりだした。
8月に入って間もない日に、朝起きて会社に向かうとするが不安を感じて動悸が強く、会社を休んでしまった。次の日には会社に向かう電車の中で不安が生じ、会社を休むことにした。その夕方、彼女が心配して部屋まで来てくれた際には不安などの症状がなく、外食したうえにカラオケにも行けるくらいの体調だった。
しかし、次の日も朝になると不安を感じ動悸がしたうえに足もすくんだ。その後は会社に出勤はしたものの、業務に対する不安感や意欲の低下で集中できない。
アレキシサイミアによる回避特性の可能性
私が保育園に入園した頃のことから話します。自分の発話について羞恥心が強く保育園内では挨拶等の定型文以外ほぼ話せない場面緘黙症のような状態が続きました。 家族間では会話ができるのに保育園での対人に対しては思ったことを話せない状況でした。そのため、対人関係に恐怖を感じており、小学校に入学すると一部の同級生などに気持ちが悪いとからかわれるようになりました。また、 学生時代を通して夏休みや冬休みの長期休暇時の課題に集中できなく、担任や同級生の目が気になり、その度に自己嫌悪に陥ることになりました。
自分の分析や自己評価では、幼い頃から回避性パーソナリティ障害を持っていたのだと思います。最近では自分の感情の理解が難しく感じていて、気持ちを他者に伝えることが困難な傾向が強くあるようです。
現在は33歳ですが、仕事上だけでなく社会的に人間と関わることをを恐れていて、特に対人場面を避けることでその場をしのいでいて、とても生きづらさを感じています。
今までは、心理カウンセラーのもとで認知行動療法を行ってきましたが、既に放棄している状態です。CBTは私に合わないような気がしています。
今後の希望としては、まず自分自身の特徴を知ることで、気持ちの整理することから初めて、人間関係ではコミュニケーションが取れるようになりたいと思っています。
PTSDや感情調節障害の相互作用の可能性
特にお酒を飲んでいる最中に気に入らないことがあると我慢できずに怒りを爆発してしまう。自分では、怒りなのか、不満なのか、不安なのかよくわからない状態でパートナーに発狂してしまう。相手に物を投げつけたり、暴力を振ったり、物を壊すことが止められななくなる。疲れて動けなくなるまで狂ったようになる。そのうちお酒が効いてきているのか知らない間に眠りにつくようだ。警察沙汰になったこともある。
父親は自分の気持ちを表現することに困難があり、不満があると感情的になり母親に暴力を振るっていたが、母親だけでは物足りないのか、私も幼少期には、体罰を幾度となく経験をしている。父親は、アルコール中毒なのかは確認できなかったが、毎晩のように多量のアルコールを摂取している姿しか見たことがない。
父親の怖さと辛さが常にあったせいか、小学生の時から学校では変わり者のように扱われ、会話する友達もできなく孤独を感じていた。中学生でも同じようなことが続き、リストカットで心を紛らわすようになっていた。

妄想性障害の可能性
ある日を境にして異変が始まりました。周りの人が話しているのを耳にすると、突如として「自分を監視している」という確信に取り憑かれました。
その妄想は次第に拡大し、「組織的に自分を監視して狙っている」という信念にとらわれるようになりました。友人や家族がまわりで囁き、陰謀を巡らせていると感じ、ますます孤立感に襲われました。次第に外の世界に出ることができなくなり、自身の身の安全を保つために家に閉じこもるようになりました。
日常生活にも、精神的にも影響を受け、睡眠不足に加え食欲もなくなっていきました。友人や家族が心配していても、妄想から逃れることができず、ますます健康が損なわれていきました。心の中には、他者からの脅威が絶え間なく続いているという錯覚が根付いていました。
妄想が離れないことにより、社会的な孤立に苦しみ、生活全般に支障をきたし、最終的には飢餓状態に追い込まれました。
不安障害の可能性
限局性恐怖症の可能性
30歳の女性で、普通の生活を送っていました。しかし、特定の場面や物に対する強烈な恐怖を抱えていました。
症状は、高所恐怖症に関連していました。特に高所からの景色、ビルの屋上、橋、エスカレーターの上り下り、ケーブルカー、観覧車、飛行機、エレベーターなどが、私にとって不安や恐怖を引き起こすものです。これらの場所や状況に直面すると、体が震え、動けなくなり、強い不安感に襲われます。
特定の場所や状況に恐怖を感じ、その場所に行くことを避ける傾向があります。特に映画館やコンサート会場などの非難することが困難な場所の恐怖感は極めて強く、会場を訪れることを拒否することが多くなっています。自由にならない狭い空間などの状況では強烈な不安と恐怖を感じ、パニック発作を経験することもあります。
社交不安症の可能性
25歳の女性です。社交的な状況での不安感が、日常生活に影響があります。友人と楽しい時間を過ごすことができる一方で、公の場で話すことや他の人々と接することが難しく、そのたびに強烈な不安感に襲われます。
他人が自分を非難し、拒絶するのではないかという強迫観念に苦しむことがよくあります。そのため、新しい人と会うことを避け、プレゼンテーションやグループディスカッションなどの公の場での活動が不可能だと感じます。
全般性不安症の可能性
日常生活の様々な側面に対する過度の不安に関連しています。仕事、家庭、健康、将来のことに対して絶えず心配し、不安感が常に襲ってきます。これにより、睡眠障害、集中力の低下、肉体的な症状(頭痛、胃の不調など)が現れています。
パニック症の可能性
突然のパニック発作を経験し、心臓の激しい鼓動、息切れ、動悸、そして死の恐怖を感じています。これらの症状は公共の場や社交的な場面、あるいは交通機関で発生し、自分では制御できないと感じています。そのため、パニック発作を恐れて、社会的な活動や外出を制限することとなっています。
うつ症状の可能性
大学生の女性です。大学に通いながら一人暮らしをしていましたが、一年前から、日々の生活に灰色の影が忍び寄るように感じ始め、元気がでず、何も楽しいことができないようになりました。過去の出来事や最近の失敗を時間をかけて反芻するようになっています。友達との交流も減り大学の授業も疎遠になり、夜には眠れなく食事も手付かずの日が増えるようになってしまいました。
ある日、自分が書いた覚えのないメモを発見しました。メモには悲痛な叫びが書かれており、それを読んだ瞬間、何かがおかしいことを感じました。まるで、メモを書いたはずのない自分と、メモに書かれた感情の持ち主としての自分が共存しているようでした。
境界知能の可能性
20歳の男性です。周りの人々との関係を大切にしていましたが、日常生活において、さまざまな困難に直面することがあります。
学生時代に授業の理解に困難を抱えていました。特に読み書きのスキルが低く、数学も難しいというよりできないと感じていました。また、社交的な場面で他の人とのコミュニケーションも難しかったため、友人を作ることができませんでした。これにより、学業や社会生活での経験が自己評価を低くし、ずっと自己価値感にも悩まされてきています。自分が他の人と比べて知能が遅れていることを感じていて、これが自尊心に影響を与えていたことは確かなことです。また、自分の感情を適切に表現することが難しく、時には怒りっぽくなることもあり、家庭内のコミュニケーションも問題となり、両親との対立が増えています。

妄想性(猜疑心)PDや被害念慮の可能性
システムエンジニアとして働いており、疑念の対象は特に職場での同僚や上司に対してです。日常的に同僚たちが自分を陥れようとしていると信じ、他者の行動に対して常に慎重で警戒心があります。メールのやりとりや会話において、同僚たちの意図的な陰謀があると感じていて、多くの行動にも疑念の目を向けてしまいます。そのため、同僚との信頼関係が乏しく、協力的な作業が難しくなっています。職場環境は緊張と不信感に包まれており、その結果、プロジェクトで孤立し、チームから外されることが続いています。
友人関係は乏しく、過度の疑念が友人たちとの信頼関係を壊すことがときおりあります。さらに、家庭環境も影響を受け、妻と子供たちは、私の過度の疑念によってストレスを感じています。家庭内でも疑念が続き、家族とのコミュニケーションが難しくなっています。
境界性PDの可能性
グラフィックデザイナーとして働いており、仕事ではクリエイティブなスキルが発揮できます。しかし、日常生活では不安定な感情、自己イメージの変動、対人関係の不安が日常的な問題となっています。
友人関係や恋愛関係において不安定で、急激な感情の変化が友人やパートナーとの関係に混乱を招くことが多くなっています。例えば、今日は友人と楽しく過ごし、翌日には対立が起こり、友情が崩れることがよくあります。恋愛関係においても、相手に対して過度な依存や急激な距離を取ることがあり、関係が不安定になります。
仕事面でも、感情の変動に悩まされます。プロジェクトに集中する一方で、急激な感情の波が仕事に影響を及ぼし、集中力の低下や仕事仲間とのコミュニケーションに大きな影響を与えることがあります。また、急な感情の変化によりプロジェクトの途中で中断することがあり、仕事の安定性がありません。
自己愛性PDの可能性
不動産エージェントとして、高収入を得ています。しかし、自己中心的で他人の感情やニーズを無視する傾向があります。自分仕事の成功と自己評価に執着し、他人との対人関係において問題を抱えています。
友人関係においても自己中心的であり他人の感情に鈍感だといわれます。友人たちに自慢話や豪華な生活について語り、他人の話題にはあまり関心を示すこともありません。この態度が友人たちとの関係に疎遠感をもたらし、友人からは距離を置かれるようになりました。
恋愛関係においても、自己中心的な傾向が強よく、パートナーに対して支配的で批判的であり、感情を無視し、自分のニーズを最優先にします。このため、恋愛関係が破綻ばかりしていています。結婚歴はありません。
仕事面でも、同僚やクライアントとの対人関係で自己中心的な態度と他人のニーズを無視することが、仕事仲間との協力やコミュニケーションに影響を及ぼし、時折、仕事のプロジェクトにも影響を与えています。
演技性PDの可能性
声優として活動していて、ある程度の支持を受けています。しかし、自己アイデンティティの不安定さや他人の評価への過度な依存が問題です。
声優業界では多くの異なる役を演じる必要があり、そのキャラクターたちになりきります。しかし、演技以外の場面でも他者の注目や関心を集めるためにキャラクターとしてふるまう癖があり、自分の本当のアイデンティティを見失いがちです。これにより、友人関係や恋愛関係において、本物の自分を他人に表現することが難しくなり、他人からの理解を求めながらも他人の期待に合わせた演技を続けています。
また、他人の評価への過度な依存も抱えていながら、自己評価が他人からの評価に左右されることが多く、批判的な意見や否定的な評価に敏感です。このため、自己評価の不安やストレスを抱え、自分自身を確立することが難しくなっています。
C-PTSDの可能性
私が物心ついたころを思い出すと、父親の存在はなく母親の愛情も感じたことがありませんでした。シングルマザーだと理解できるようになった小学生の低学年には、父親と名乗る男性が一緒に住むようになりましたが、私が身体への虐待を受けるようになったのは間もなくでした。それから中学卒業までネグレクトのような育て方をされてきました。そのような状態が災いして友達もできなく、いつも一人でいることが多く孤独を感じながら過ごしてきました。
私は働きながら定時制高校を卒業しましたが、社会に出てからも他人との交流方法がわからないために人付き合いを避けることが多く、特に男性に対して恐怖感を持ってしまい過度の警戒や不信感を抱いています。そんなことから、私は愛着障害とPTSDをもっているのではないかと考えています。
悩みは、義理の父親からの暴力の記憶が抜けなくトラウマに怯えています。夜寝ていても思い出され目が覚めることがあり、生活上で男性の大きい声を聞いただけでも恐怖感が現れ胸が苦しくなります。それと同時に、義理の父親には悔しい思いだけでなく、強い恨みが湧いてきて一人で動揺することがあります。
先ずは、父親から仕打ちを受けた悪い記憶を和らげたいと思っています。しかし、一番のトラウマ的存在は母親です。私を生んだ実の母親でありながら、義理の父の暴力を止めることもなく、ネグレクトのような育て方をされたことがなぜだかわかりません。母親のことを考えると胸が苦しくて張り裂けそうです。どうか、母親の呪縛を解いて下さい。

複合的なトラウマの可能性
私が物心つく頃には、父親のアルコール依存で母親が常に暴力を受けていました。中学1年の夏には両親の離婚がもとで転校することになりましたが、転校先では度々同級生の嫌がらせを受けています。例えば、教科書を焼却炉で焼かれたり、運動着や靴、上履きを隠されるようなことから、私に声をかけてくる同級生をシャットアウトするようなことまでされています。そのため、いつも孤独と恐怖を感じながら周りのことばかり気にする毎日でした。最終的には新たに転校することになりましたが、2回目の転校先でも、同級生や先生が怖くて人を信用できない感情が強く、友達を1人も作ることができませんでした。転向後の中学生活では何一つ良い思い出もなく、母親の精神が安定していないこともあり、私は高校には進学しませんでした。
中学卒業とともに、スパーマーケットに就職し、私が18歳の時に、職場で知り合った12歳年上の男性と結婚することになりました。夫婦生活は半年もすると、私の家族の時のように夫の暴言や暴力が頻繁に起こりましたが、男性は父親しか知らなかったために普通のことだと思っていました。しかし、夫は5歳の子供を連れて新しい女性と暮らし始めました。そんなことがあり、今までの職場を退職して再就職することになりました。
ところが夫は月に数回アパートを訪れて、身体目的の暴力行為を続けました。お金はなかったのですが、母親の助言もあり一念発起で東京に上京し、母親と住むことになりました。それから3年費やしましたが、私が29歳の時に離婚は成立しています。しかし、無念なことに子供の親権は父親にあります。
東京での暮らしは、同業種のスーパーマーケットに勤務して12年目です。職場では上司から中卒は仕事もできないなどと罵られ、そのこともあり周りとの人間関係は上手く行っていないと感じていて、仕事でのストレスも溜まっています。信頼を寄せる相手もいたのですが、結果的には遊ばれただけでした。社会人になっても友人と呼べるような人もいないため、憂さ晴らしや相談する相手もいません。アパートに帰えっても、依存されている母親がいるので話を聴くことが多い毎日です。
自分がまたいつ嫌われてしまうのかと不安で、いつも精一杯の笑顔を振りまいていますが、他人の言動が気になって仕方ありません。また、人間不信だけではなく、目先にも将来にも希望が持てなく絶望感が強く現れています。
認知バイアスの可能性
本日、2023年1月23日木曜、朝9時から社内でプレゼンをすることになった。
1か月前に選ばれていたのは私を含めて5人だったが、私は何度もリハーサルを行い完璧にしてきたので、規定通りの持ち時間30分ピッタリでプレゼンを終了した。テーマもZ世代に焦点を置き、視覚に訴えた統計や写真などもふんだんに使い、飽きさせないように注目させたつもりでいた。それでも、会場からは頷きも拍手も少なかったような気がしている。自信があったのに反応の悪さにだいぶ動揺してしまった。
このプレゼンにはAさんが相談に乗ってくれていたので、事前にAさんの前で練習をしていた。そのこともあり、反響が思うようではなかったことに対しては申し訳なさを感じていた。
それでも、他の4人と比較して内容は上出来だと思っていたので、優秀賞以外は敗北だと考えていた。
しかし、その日の19時にプレゼンをした3人と責任者の部長が食事に行ったことを知った。私には声が掛からなかったので残務をしていたが、あれほど頑張ったのにプレゼンで力を出しきれなかったように感じられてきて、部長には実力がないものと判断されてしまったんだと心が苦しくなり、トイレで涙を流した。私はこの会社には必要がない人間なのかもと考えていた。
ただ、プレゼンで社員の反応が良かったBさんも食事には誘われていないようで不思議に思えていた。
結果は1週間後ということだが、アパートに帰ってもやはり落ち着かないばかりか心が重く感じられて、食事に誘われなかったBさんに心境を聞けばよかったかな?とか、手伝ってくれたAさんに「ありがとう、ごめんね」くらい挨拶した方が良かったかなと考えて寝付けないので、お酒を飲んで朝方までぼんやりしていた。テレビやネットは見る気がしなかった。
当たり前なのかもしれないが、結果が出るまでのあいだは誰にも相談できなく苦しくて徐々に自分にも嫌気がさしてきて苛立ちが収まらないで過ごしていた。
1月30日、朝礼で結果の発表があった。優秀賞は取れなかった。優秀賞はBさんだった。Bさんの企画チームも立ち上がるらしい。
発表の直後に「Aさんは協力する相手を間違えた。と思っているだろう」「他の社員は陰口を言っているのだろう」「部長には捨てられたかな」と考えてしまって、この場から逃げたいと思った。
1年ぐらい前にもプレゼンで失敗し、選ばれなかったことを昨日のように思い出していた。連続で企画に失敗したように思えてきた。やはりこの会社には居場所がないんだと思っている。
結果の出た1月30日に部長が帰社(17時30分位)する際に、「あなたの企画は投票で2位だったんだよ!惜しかったね。次の企画の際にはあなたを指名したいので、またプレゼン頼むね」と言ってくれた。どう理解すればよいのかわからなかった。「1位じゃないから何でもないじゃないか!」「以前も、今回も落選だよね」と考えていたら、身体が震えてきたので早めに帰宅した。食事ものどを通らず、考えてばかりで眠れなかった。
次の日、夜眠れなかったのが祟ったのか1月31日は微熱だったため、休むことにした。
2月1日、朝起て会社のことを考えると憂鬱でいっぱいになり休むことにした。2月2日、さぼりで休んだことに罪悪感が湧き、みんなからは休んだ理由を見透かされているだろうと思い、会社に行けないと感じて休んでしまった。
2月3日は出社したが、周りの目が気になっていた。今でも部長や周りの目が気になるし、AさんもBさんも気になって憂鬱が続いている。覇気が出ない。苦しい。
ストレスや新型うつ病の可能性
私は現在48歳の男性です。結婚して21年が経ちましたが、7、8年位前から妻と相性が合わないなどの懸念を抱いていて、ここ2、3年は嫌悪も抱くようになっています。妻の言葉もきつく、嫌みだけ言われているような感じがします。私もすぐにかっとなって怒鳴ることばかり繰り返していて、家に帰るのも嫌になってきています。ただ、子どものことを考えることで離婚には躊躇しています。私は、その割には子供にも叱責することが多くなり、一緒に行動することもなく関わりも最近はしていないように思えます。
私のことですが、仕事もうまくいかなく経済的にも苦しい状態が続いています。最近は自発的に物事に取り組むことがなく、将来への不安が続いているのが現状です。
妻がパートをすることで家族の食費は工面していますが、とにかく結婚する前から妻とは性格が合わないと感じたことが度々あったので、結婚したのが間違いだったのだと後悔しています。
うつではないと思いますが、気持ちがふさぎ込んでいて不安や悲しさ、寂しさ、後悔などに支配されているようで、イライラ感だけでなく体の疲れを強く感じるようになってきています。
依存症の可能性
私は会社員ですが、上司からのパワハラや同僚からの嫌がらせを感じてしまい、深酒をするようになりました。会社のことを言い訳にして、休日にはパチンコや競馬に通うようになり、ストレスを発散していました。そのことを繰り返すうちにパワハラや嫌がらせが頭から離れなくなり、会社も休みがちでお酒やギャンブルをする機会も増えてきて、最終的には会社に行きづらいことがたびたび出てきています。そこで、一切のギャンブルのことは告げずに精神科を受診した結果、適応障害という診断名がついたので、会社には適応障害で長期休暇を申請しています。私は自分が適応障害だと思っていませんので、医師処方の不安薬や睡眠導入剤も飲んでいません。
私は、会社の事象が起こる前から、アルコールもギャンブルもハマりがちでしたが、現在は働くことから逃げるようにアルコールとギャンブルに生きがいを感じていて、借金をしてまでも止められなく依存的に続けることに幸せさえ感じています。 ただ、先行きが不安でアルコールとギャンブルを止めたいとは思っています。実際には適応障害もあるかもしれませんが、長い間続けている依存症が一番の悩みです。

注意欠如多動性症の可能性
私は小さい頃から何かと人と違うことが多かった。友達もできず先生からも注意を受けることが多く、私は自分が変わっていると感じていた。しかし、その理由は長い間分からずにいた。
小学校、中学校、高校を意味深長で卒業し、大学に進学すると同時に私は独り暮らしを始めた。さらに、私は約束を守れず、相手の話を最後まで聞くことができず自分が変わっていると深く感じることになりました。よく自分を観察してみると、時間を守ることができず遅刻やレポートの提出を忘れるなどのミスが多くなっていることに気づいてはいたが、結果的に大学を留年してしまった。
親が留年のことを知り、私の部屋を訪ねてきた。私は何も考えずに普段通りの部屋にあがってもらったが、親に言われ改めて部屋が乱雑なゴミ屋敷のようになっていたことに気付いた。私はそのことも対人関係も生きづらさも感じていたので、親の言うがままカウンセリングを受診することに決めた。
自閉スペクトラム症の可能性
幼少期はおとなしく、人見知りはせず抱っこをせがむこともなかったそうだ。
視線も合わせることがなく、人の動きへの模倣もなく人に関心がないように見えたらしい。
私は、出かける際にもボロボロになったお気に入りのミニカーをいつも持ち歩いた。
小学校に入学すると、同級生とおしゃべりすることをせず、他者の表情も理解できなく友達ができなかった。相手の冗談がわからず本気で怒るため、毛嫌いされるだけでなく頻繁にからかわれるようになり、学校に行くことが不安に駆られ不登校になってしまった。
何かあるたびにそのことを思い出すのか、人と関わるのが嫌になり外出ができなくなっていて、社会的コミュニケーションの障害や聴覚過敏が年齢とともに生きづらさを感じるようになっていた。
大検を経て大学への入学を果たせましたが、卒業には8年かかっている。
就職は希望の企業には無理でしたが、中小企業の工場で作業員として働いる。しかし、社会生活になじめないのか、年齢を増すごとにつれて特有のコミュニケーションの能力が悪化してきている。
冗談や嫌みが通じず環境変化にも対応できなく、職場では大きな声で上司に叱責されることが多くなってきて、最終的には上司が怖くて突然辞職した。
辞職して以降6年間引きこもり状態に陥ってしまい、他人と視線を合わせることもできなく、うなずきや首振りで返答するのがやっとで自信喪失している。
身体症状症(身体表現性障害)の可能性
私は大学生です。夏休みを利用して地元に帰省してからというもの、体がだるく、食欲がなく、腹痛や下痢、便秘を繰り返すような身体的不快感を感じるようになってしまいました。初めは暑さや疲れが原因かと思っていたが、不快感は日増しに強くなり、痛みも感じる頻度が多くなりました。
家族に相談すると、早めに病院に行くように勧められた。総合病院に行って検査をしても異常は見つからず、身体的な症状は明らかにならなかったが、胃が少し荒れていたことで胃薬を出されただけだった。それでも不快感や痛みは続いており、ますます不安になることでストレスも感じるようになってきました。
不安が強くなったことで、精神科の受診で今までの経緯を医師に話すことができて、もう一度検査はしたが、その後の医師からの説明を受け、心理的ストレスによって不快感を感じていることを理解することができました。身体に症状が出ることで、ストレスを認識し、それに対処するために身体が反応しているのだということを知りました。
愛着の影響や複合的なストレスによる感情調整能力の可能性
私は年齢が36歳で2人の子供がいる母親です。夫とは関係が壊れていて離婚の話が出ている状況です。
子供は2人とも男の子で7歳、5歳です。いつも騒がしく喧嘩が絶えない兄弟だと思います。
以前からうつの傾向はありましたが、2人目の子供が生まれた時期のうつ症状が強ったと思います。夫の協力が何一つなく私に任せきりだった中で、頼る人もいなく情緒の不安定、不眠、集中力の低下、落ち込み、焦燥感を感じていました。
現在はうつの症状というより、情緒の不安定でも感情のコントロールが効かず、子どもにあたることが多くなってきています。夫のストレスに加え、2人の育児やママ友の気疲れがたまってしまっているのか、子どもたちの騒ぐ声や喧嘩など声や音に敏感になってしまい、その都度子供たちに怒鳴りまくっています。
この状況が毎日続いているので、イライラが募る一方です。家事をするのも手につかず億劫になることもあり、小学生や幼稚園のママ友との付き合い方がわからなく、気を遣うばかりで疲れ切っています。
そんな中でも、夫は自分の付き合いや趣味ばかりで休みの日でも何一つ協力はありません。外に出れば鉄砲玉のようにいつ帰ってくるのかもわからないこともしばしばです。
せめて、両親に頼ることができればと思いますが、父は交通事故の後遺症で歩くこともままならない状態で、母には相談できる自信がありません。と言うのも、私が幼少の頃から母親は寄り添ってくれず突き放されてばかりで、甘えられたことが一度もなかったような気がします。それでも母親を好きでしたが、最終的にはアダルトチルドレンのロンリーのようになっていたのかもしれません。今は母親が嫌いで頼ることは考えられなくなっています。
このような経験が、幼稚園の頃から現れていたのか、周りの園児との違和感を感じていたと思います。小学生では嫌がらせに合い、中学、高校生では人間関係を作ることに難儀していました。
大人になっても誰かに相談することができず、問題も苦労も自分で抱え込むことが多く、他人との良好な人間関係を築くのは難しいというより無理だと感じています。とても生きづらさを感じています。
ゲーム障害の可能性
大学卒業後に就職したものの、仕事のストレスから逃れるためにオンラインゲームに没頭するようになった。最初は帰宅後の数時間だけだったが、次第にプレイ時間が増加し、休日は食事や睡眠を削ってまでゲームを続けるようになった。仕事中もゲームのことが頭から離れず、ミスが増え、上司から注意を受けることが多くなった。
やがて仕事を辞め、親の援助を受けながら昼夜逆転の生活を送るようになった。現実の人間関係は疎遠になり、家族との会話も減少。母親が心配して声をかけると、イライラして暴言を吐くこともあった。経済的に苦しくなり、ゲーム内課金のために借金をするようになった。
カウンセリングを受診した際に、「ゲームをやめたいがやめられない」と訴えた。セルフチェックや面談の結果、自己コントロールの低下、現実生活への悪影響、離脱症状が認められた。
変換症/解離性神経症状性障害の可能性
職場での強いストレスを感じるようになった後、突然、歩行困難と右手の震えを訴えるようになった。症状は翌日から悪化し、職場で転倒することもあった。病院での検査では神経学的異常は見つからず、MRIや血液検査も正常であった。
職場で上司から過度なプレッシャーを受け、数か月前に大きなミスをして以来、不安を感じていた。仕事を休むことで症状が一時的に軽減したが、復帰すると再発。カウンセリングを受けた結果、「失敗への恐怖が身体症状として現れていた」ことが明らかになった。
カサンドラ症候群(ご主人はASDの可能性)の可能性
主人が定年したので、別居、または離婚をして欲しいと申し出た。理由は夫婦の会話が極端に少ないだけでなく、思いやりや共感性もない。子供たちに対しても無関心で、部屋に閉じこもることがほとんどである。
周囲からも感情がなく何を考えているかわからない、自分本位な行動や考えが多いといわれている。
私が初めて、主人の両親に会いに行った際に言われたことが今でも忘れられない。本当に大丈夫ですか?息子は幼少の頃から変わり者で何を考えているかわからないし、家族との会話が成り立たない子供だった。勉学は優秀で大学まで行ったが、友達もいなく孤独な生活をしていたようだ。まさか結婚を考えるとは思っていなかった。とのことでした。
お付き合いをしていることから、主人は必要以上に話さなく、感情が希薄で理攻めな上に単独行動を好むようだったが、一緒に生活するようになってから私が精神的な支障をきたすまでとなっていった。例えば、料理を作っても主人は口にすることが少なく、自分の好きなお惣菜を買ってくる毎日であった。私の相談は聞いているが、自分には支障がないからとだけ答える。それが子供のことでも家族のことでも関係ない。そんな日々を30年以上耐えてきた。
ミュンヒハウゼン症候群の可能性
Aさんは緊急外来を訪れ、「激しい腹痛と吐き気が止まらない」と訴えることを繰り返します。病院では精密検査を実施しますが、異常は見つかりません。それでも症状の重篤さを強調し、入院を要求するそうです。入院できると、Aさんは自身の症状について周囲の患者や医療スタッフに熱心に話し、「私は珍しい病気に苦しんでいる」と繰り返すそうです。
カウンセリングの面談でAさんの行動の背景には幼少期からの愛情不足や孤独感があることが明らかになり、注意を引きたいという強い欲求が、病気を装う行動に結びついていることがわかりました。
幼少期から家庭内での愛情不足に苦しみ、母親の注意を引こうと頻繁に仮病を使っていたそうです。成人後もこの行動は続き、職場ではときおり体調不良を訴え、周囲の同情を集めていて、医療機関を受診する際には、複雑で珍しい病気の症状を詳細に説明し、多数の検査を受けるものの、医学的根拠が見つからないことが多かったといいます。